社長の経歴とプロフィール

僕がピンチの度に再起する事が出来たのは
キッチンカー販売のおかげです

1965年明石市生まれ母子家庭で育ち中学卒業後

飲食店に就職、1989年11月に神戸三宮の東門筋にて独立開業するも

三ヶ月で潰れそうになり、キッチンカーを思いつく

 

友人に­­­­­10万円で譲って貰った軽のワンボックスカーを自分でキッチンカーに改造して、

海岸通や市役所付近でカレーを販売していました。

これが1台目で、今思えば最初の3台は、

全て車検も通らないめちゃくちゃな車でした。

 

阪神淡路大震災

カレーのキッチンカーがかなり順調で、

お金も出来たので北野坂にあるパレ北野坂と言う三宮一と言われていたビルで、

2店舗目を開店し意気揚々と頑張っていましたが、

あの阪神淡路大震災にて2店舗とも全壊しすべてを失いました。

ここでも僕を救ったのはキッチンカーでした。

そして2台目は70万円のデリカ(ワンボックス)をベースにして

姫路の厨房機器屋さんに車内設備を製作してもらいました。

中だけで470万円で合計540万もかけてしまい全財産が残り

10万円で仕入れ代で無くなるような状態でしたが

当時は淡河や深江に震災の廃材を捨てに来るトラックが列をなし

何時間も動けず寒い中お弁当を持って来ないと買うところすら無い状態のなか、

うどん・弁当・おでん等をトラックに

逆行しながら流しで販売していましたが、

うどん120食とお弁当50食、おでんは100個が

毎日完売していました。

天ぷらやサイドメニューを入れると

売上は日々10万円を切る事はなかったです。

※ここで感じた事はワンボックスカーなどでは積載量の兼ね合いで売り上げの限界が低いと言うことでした。

 

人生の転機

そんな折、神戸ハーバーランドのモザイクから1階に神戸の老舗を

集めて再開発をしたいので、出店して欲しいとのオファーを頂き

ここから僕の人生は大きく変わって行きました。

じつは当時2軒のお店は、本格的なカクテルと創作料理を出す

お店として有名で、デベロッパーからバーテンダー協会に問い合わせがあり僕に白羽の矢が立ったと言う事です。

 

震災で全て無くして手持ち金は仕入れ代の10万円 !

そこからモザイクでお店を再開するのに約4000万円

プラス運転資金が必要でした。

震災復興とモザイクと言う事で融資も受けやすかったですが

半分以上は、お店が出来るまでの1年間キッチンカーで稼ぎました。

オープンからはテレビや雑誌に取り上げられない日はないくらいで

本当にうれしくて飲食業以外の仕事はしないと心に決めました。

 

試練の始まり

しかしここから破滅への道のりが始まっていたのかも知れません

詳細は、あまりにも長くなるので割愛しますが、

当時は創作料理、居酒屋 イタリアン、アジア料理、BAR、地酒専門店、焼酎専門店など8店舗を展開し

年商は約5億円、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

 

人生で2度全てを失った

そしてよくある話ですが、保証人になり

何億もの借金を抱え

それを精算するためにまた、

2006年に会社も個人資産も全て失いました。

 

残ったのは90ccのスクーターと30万円くらい

当時41才飲食業界では変に顔が差し他業種で見た目も生意気で

未経験なやつ等だれも雇ってくれません

 

ついに3台目のキッチンカーです。その後の僕の人生を決める車です。

貿易で海外に出す予定のボロボロのハイエースを友人から

8万円で譲ってもらい車検をうけ

車内もまた自分で製作するもお金が足りない。

キッチンカーさえ出来れば稼げる自信はある。

資金を作る為に友人の会社を3ヶ月手伝い何とか営業にこぎつける。

JRの駅前で、創作たこ焼きとフランスパンのホットドッグを販売

ある程度お金もたまったので、あとは年に半年くらい働いて

バイクで旅でもしながらフェスなどで雑貨でも売ってのんびりと

質素に生きて行こうと思ってハイエースをヤフオクで売却しました。

人生で2度全てを失い物欲とかが無くなっていました。

無事にハイエースも売れて旅の準備をしていると

3人くらいからあのハイエースはもう無いのと問い合わせが入り

よくよく聞くと車は買えるけど、中を何処で製作してもらえるか?

オペレーションはどうしたらいいのか? 何が必要なのか?

営業許可申請は? 仕入れ先やメニュー構成、レシピは?

わからない事がわからないと言う事でした。

 

あ!僕は全部できるやん

そんなに困っているなら製作してあげよかが始まりです。

この時はまだキッチンカー専門店を仕事にするとは思ってもみなかったです。

それからと言う物は、めちゃくちゃ勉強と経験をつみました。

同じ車体でも構造変更の制約が違っていたり

いまだに営業許可も都道府県で違っていたりするので

自信はありますが毎回ドキドキします。

そして無事に営業までこぎつけたお客様が喜んでくれ

ありがとうとの言葉が嬉しくて、独立開業お手伝いをする事を

自分の生涯の仕事とすることにしました。

これからもお客様の夢を叶え人生に影響を与える仕事をして行きます。

 

2022年2月23日に製作台数が祝1,000台になりました。

様々なジャンルのキッチンカーを製作してきました

絶対的な自信があります。経験が自信を生みます。

この自信は、1,000台を製作した実績と経験から来るものです。

独立開業してからの僕の人生には、

はからずも常にキッチンカーが関係していて、

僕がピンチの度に再起する事が出来たのはキッチンカー販売のおかげです。